飛行場めぐり

定期路線のある空港を見て回ってました

大串貝塚

県防上、重要な史跡があるというので偵察を実施した。
 
大洗マリンタワーから程近い、
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気温は高くないが、あたり一面田んぼの高湿度。
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こんなのどかさの中に重要施設があるとは思いつかない。
とても重要な施設であるから、このようなところに隠したのであろう。
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途中「備前掘」という水堀をわたらなければならない。
幅2.5メートルほどか、前日の雨が響いて流れがきつくなっている。
流れがある時点で堀ではなく運河なのではないかという気もするが、気にしてはいけない。
乗り越えることができる箇所をさがして上流に向かわなければならない。
 
すると「帝国在郷軍人下大野分會第6班」「大正7年7月戦死」「海軍2・水兵・・・」とある石碑が立っている。
海軍設立が1869年、大正7年が1918年なので…よくわからない。
海軍に入って2年目の水兵が亡くなったのか?それとも大正2年に入隊した者が亡くなったのか。
水害に対する出動で命を落としたのではないかと思うが、石碑だけでは判然としない。
 
備前掘をわたってしばらくすると大串貝塚に入る。
目的の施設はこの中にある。
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容易には進入できないようエスカレーターなどは設置されていない。
ネット状の設備をよじ登るらしい。
これでは途中で攻撃されたらひとたまりもない。
 
警戒して辺りを見回すとちょっとだけ登りやすくなっている斜面があったのでここを上ることにした。
コンクリートでできた階段なのでかなり上りやすい。
 
斜面を登りきるとそこには再びほのぼのした竪穴式住居が。
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昔来たときこなにものはなかったと思うが。
当時は常澄村時代だから予算の関係だろう。
 
ちょっと先にはコントロールセンターがあった。
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埋蔵文化財センターというらしいが、この手の施設に見られる簡易な「おいてあります」施設ではなく、ちゃんと展示・説明がある立派な施設になっている。
非常に小さい施設なので、見て回るというほどのものではないのだが、内容は不釣合いなほど濃い。
 
そしてその先に見えてきたのは。
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手前の小屋はトイレである。
紛争時にはトイレでターンと出した後だいだら法師を駆って前線に赴くのだろう。
 
大串貝塚が記録として残されているのは「常陸風土記」、奈良時代の話である。
文献として残っている貝塚の中では世界一古い。
 
台座の中に設置されたオブジェの説明文の一節。
「現在と過去は、1本の糸のようにはっきりつながっているのではなく、その記録は断片的で曖昧です」
たしかに、奈良時代の情報が残る一方で「帝国在郷軍人下大野分會第6班」と書かれた石碑のようにわずか数十年前でも記録から消え行く情報がある。
過去の線はいつしか途切れ、水滴となり現在という水面で花開く…。