飛行場めぐり

定期路線のある空港を見て回ってました

奮戦長野城

松本城ではなく、福岡県北九州市小倉南区の長野城である。
間違っても、長野嬢てはない。
 
一応、長野城については、検索すれば何がしかの情報が得られるようである。
最寄の駅である志井公園で下車。
アドベンチャープールなどがあるのだが、この時期に屋外プールに入るやつなどいない。
特に標識も無いのでテクテクと歩くとトンネルに出くわした。
右側からトンネルの上に出ることができるようだが、たいがい何も無いというのが落ちである。
というか、正確には墓地があるのでお参りの便を図るため道をつけてあるというのが真相である。
つとめて上る必要も無い。
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で、上ってみた。
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五輪の供養塔、一族終焉の地というわけである。
墓地と思いきやとんでもないものが出てきてしまった。
 
さきに進むことにする。
500メートル強ある岳の観音トンネルを抜けて、ずんずん進むと長野緑地が見えてくる。
さすがに寒いのと、小倉南区という特性柄遊んでいる子供はほとんどいない。
ちょっと寂しいが、不思議なオブジェが落ちている。
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なんだかシュールなオブジェであるが、なんとびっくり、トイレである。
鉄の町八幡を抱える北九州市だけある。
トイレも一級品のセンスだ。
そういえばTOTO北九州市が本社である。
 
長野城までの道のりは長いので急がねばなるまい。
五輪の供養塔で時間を大きくロスしてしまっているのだ。
ふと後方からパラパラとヘリコの音が聞こえてくる。追っ手か?
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UH-1J、民間機ではない。
もしかすと、狙撃手くらい乗せているかもしれないのでとりあえず身を隠すことにする。
 
国道から外れて手近な緑地飛び込むと。
そこは「長野緑地」だった。
なんだこりゃ
 
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しかしその先には奇妙施設が建っている。
これは調査してみる必要がありそうだ。
 
左手から慎重に施設に接近すると、一枚のたて看板。
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長野小西田遺跡。
ドンク゜リのあく抜きをした場所のだという。
弥生時代中期から後期というからまぁ、遺跡である。
なんとも楽しそうなので、周辺の調査だ。
 
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弥生時代の人もこの風景を見ていたのかと思うと感慨深い。
さすがに鉄塔は無かったと思うが。
しかし、よく見ればまた先に進む小道があるではないか。
 
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明らかに階段である。
いったいなにをしているだろう。
緑地の柵が壊され、先進めるようなっている。
せせらぎをよそに先を進むと、何かの人工物が見えてきた。
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祠であろうか。
ここまできて引き帰そうなどという野暮なことはしない。
くずれかけた道を慎重に上ると。
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ほこらではない。
浪切不動明王というらしい。
 
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開けた一角に十数体の石仏がたたずんでいる。
苔むし具合から十数年といった期間ではないことがわかる。
近くの石碑(?)は明治13年3月、大正10年7月の文字があるので、それ以前から存在していたものと思われる。
流れ落ちる水の動と石仏の静が一体になった空間がここにある。
どのような謂れがあるのか、まったくわからない。
 
かつてどんぐりのあく抜きを行い、やがて大友氏と長野氏が死闘を演じ、戦前にこのような場所が作られたのだろう。
YahooMapはともかく、うおっちずにさえ載っていないこの場所、
途中体を支えてくれるロープが新しいので、誰も知らないというわけではないだろうが、人知れずたたずむ空間。
静寂に包まれたこの場所はいつまでも静かにたたずんでほしいと思う。
インターネット上でこの場所を確認してみたが、該当する情報は1件だけだった。
 
あまり久方ぶり人が訪れたからなのだろうか、
暗くて危ないなぁ、と思いながら下り始めると一筋の光が道を照らしてくれた。
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ついさっきまで曇り空であったのに、道路に出るまで明るい晴天が続いた。
 
 
そして覚えているだろうか。
長野城はどこだ